|
祖谷地方に古くからつたわる雨乞いおどり。華麗な衣装をまとい花笠をかぶった少女をなかに、顔に天狗の面、背中に大草履をせおった若者がホラ貝と太鼓にあわせておどります。もともとは笠踊りとか太鼓踊りといわれていましたが、大正11年に摂政の宮に由来を答えて以来「神代踊り」と呼ばれるようになりました。旧暦の6月25日、善徳の天満神社にて古式ゆかしく行われます。 |
|
あくまでも画像での閲覧なのですが、全くもって「雲の上の町」らしい景観のようです。町面積の内91%が森林を覆っており、標高1455mにも及ぶ広大な四国カルスト高原に抱かれてもおり、手つかずの自然豊かな小さな町には南に太平洋、西側には瀬戸内海が眼下に拡がっているようです。 |
|
明治15年に建設された、現存する日本最古の校舎。寄せ棟造りの二階建で、ア−チ型の窓がとてもおしゃれ。現在は、教育関係資料の展示を中心に、当時の教室の様子も見ることができます。 |
|
四国霊場1番札所。天平年間(729〜749年)に、聖武天皇の勅願により僧行基が開基したと言われ、いまも“一番さん”の愛称で親しまれています。入母屋造の仁王門をくぐれば、静かなたたずまいの古刹が開け、四国八十八カ所巡りへの思いを新たにします。 |
|
約75万haの広大なひろがりをもつ栗林公園は南庭と北庭に分かれおり、南庭は早くから築 庭され江戸時代初期から中期の優れた造園手法を今に伝える小堀遠州流の珠玉作。南隅にある小高い展望地の飛来峰から南湖を一望すれば、ゆったりと弧を描く偃月橋、楓嶼・天女島・杜鵑嶼の3島と仙磯、ほとりに建つ掬月亭などが風雅なたたずまいをみせ、冬には枯山水の世界へと誘ってくれます。 |
|
綿は、砂糖・塩とともに讃岐三白に数えられ、綿の産地であった豊浜町で毎年行われる秋祭りです。金糸銀糸の刺繍に彩られた二十数台のちょうさは、若衆たちに担がれ、勇壮さを競うように、かき比べも行われます。慾闇がせまる頃、提灯に照らされて練り進む光景も美しいです。 |
|
平家一族の哀話をも秘めているそうですが、現在では、スリルを味わうが為の蔦で仕上げた橋になった観光名所です。また、このかずら橋は3年毎に架替も行われいるようですので、しっかりと蔦を掴んで渡れば安心可能かと思えます。今回の画像は、足元を見渡せる画角になっていますので、若干、鳥肌が立ちそうな絵になっているのではないでしょうか?道路なども整備されてはいますが、春・夏・秋辺りだとドライブがてら情緒味わえる季節になるかと思えますが、冬の時期になりますと、若干、降雪となる可能性もあるのかもしれません。 |
|
城山山頂にそびえ建つ天守閣。日和佐駅の前方に標高65メ−トルの丘に日和佐城跡があり、元亀(天正1500年代初め辺り)の当時、阿波の南部侵入を目指していた長宗我部勢への攻防を防ぐために建築された城だと言われています。山頂には静かな林間に白亜の天守閣は街の至るところから眺められるそうです。日和佐肥前守が造った城は蜂須賀家政氏が阿波に入国した際に廃城になったとされますが、昭和53年に日和佐勤労者野外活動施設として白亜の天守閣が建造されたそうです。 |
|
国重要文化財に指定されており、近代和風建築の代表であるとされている道後温泉本館にはガス燈が灯されており、100周年を記念に西洋の技法を取り入れた壮麗優美な三層の楼が創られているそうです。また、本館のシンボルでもある「振鷺閣(シンロカク)」の赤いギヤマンも、その例の一つでもあるようです。もし道後温泉に訪れた際には、夜の景観を眺めつつ、特殊な輝きに目を凝らされてみては如何でしょうか・・・。 |
|
日本三大秘境にもあたる徳島県祖谷川流域の上部山頂周辺に設置されている建造物と言えば「小便小僧」ですが、眼を見張るような絶景スポットに立って何をしているのでしょうか!? |