![松山城[1] 松山城[1]](459images/2-46.jpg) |
市街地の中心、標高 132mの勝山山頂にある名城。戦国武将の加藤嘉明が慶長7(1602)年に築城し、山頂に本丸、中腹に二ノ丸、山|に三ノ丸を配した壮大な巨城となっており、姫路城・和歌山城とともに日本三大連立式平山城のひとつに数えられています。城内に は、天守閣をはじめ、一ノ門、乾櫓など、江戸時代に建築された建物が数多く遺存し、国 の重要文化財に指定されています。 |
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日本最後の清流・四万十川では、休日ともなると、若者たちがカヌ−に乗る光景が見られます。また、西土佐村では、初心者も(インストラクタ−が付いて)安心してチャレンジできるカヌ−ツ−リングも体験できます。(要予約)。 |
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四ヶ村溝とは、中村市・後川に架かる中村大橋より約4km上流の麻生堰から分水し、周辺の4つの村をうるおした灌漑用水路の名前。土佐藩山内家家老の野中兼山が高所の田に水を引くために開設したものです。この地では、のどかな田園風景のなか、3月から10月にかけてコットンコットン……木造の水車が昔ながらに活躍しており、昔ながらの歴史をつたえる季節の風物詩となっています。 |
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第1次世界大戦中、大正6(1917)年から約3年間、日本捕虜となったドイツ兵との交流を記念し収容所跡地に建設されたメモリアルミュ−ジアム。ドイツ風のモダンな洋館で、館内では当時のドイツ人の自由な暮らしぶりをミニチュア模型や写真などで詳しく紹介しています。近くには、ドイツ村公園や捕虜となったドイツ人が造ったドイツ橋などもあり、その歴史を今につたえています。 |
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今は昔、宇高連絡船経由の国鉄(瀬戸大橋完成まで)だった時代では、四国の玄関と呼ばれてもいましたが、現在では発着・終着として稼働されていますが、基本的に本州から乗車された場合、高徳本線にて徳島市内へ訪れる際に利用される路線になっている様です。松山市(愛媛県)・高知市(高知県)へ訪れる際には予讃本線・土讃本線での利用となりますので、瀬戸大橋を使ってのJR利用は、宇多津駅から乗り換えせずに希望駅への到着が可能になっているようです。流行として、現在、讃岐うどんが有名になっているので「さぬき高松うどん駅」とも呼ばれている様です。また、余談ですが春・夏・秋・冬と情緒豊かな栗林公園を訪れる際には、JR栗林駅よりもJR栗林公園北口駅で利用される方が望ましいかと思えます。 |
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大正7年6月1日、この地でドイツ兵俘虜によって、日本で初めてベ−ト−ベンの交響曲「第九」が演奏されました。ドイツ人と地元徳島の人々の間にはあたたかな交流があり、当時をしのばせる写真や日用品、俘虜の遺品などがハイテク映像なども交えて紹介されています。近くには友愛の碑、ばんどうの鐘、ドイツ橋などもあります。 |
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四国霊場1番札所。天平年間(729〜749年)に、聖武天皇の勅願により僧行基が開基したと言われ、いまも“一番さん”の愛称で親しまれています。入母屋造の仁王門をくぐれば、静かなたたずまいの古刹が開け、四国八十八カ所巡りへの思いを新たにします。 |
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快速マリンライナ−パノラマ席からの眺めを見渡す画像は、若干、少ないのではないでしょうか?只今、そんな画が発見されましたのでアップしてみました。また、パノラマ席でなければ見られない光景でもあるのかもしれませんので、大きな絵で、是非、ご覧してみては如何でしょうか。 |
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四国の鳴門市(徳島県)と本州の神戸市(兵庫県)を結ぶ大橋は絶景とも言える程のドライブスポットで、特に眼下に迫る鳴門の渦潮は迫力満点の景観だと思えます。しかし、高速道路としての走行規則もある為、その高鳴る感動は脳裏への想いとなる刺激には、若干、潜められいるのかもしれません。 |
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毎年御用培めの日に町役場前で行われる恒例イベント。江戸時代、阿波藍で栄えていたころ、豪商たちが年の暮れに三味線や太鼓などの鳴り物にあわせて正月用の餅をつかせたといわれる様子を再現したものです。“うだつ”と呼ばれる袖壁の商家が立ち並ぶ昔ながらの町並みに、にぎやかな音が響けば今年もおわり……。1年を締めくくり新春を迎えるための大切な年中行事ともなっています。 |