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高松〜高知・中村・宿毛を結ぶ特急「しまんと」。讃岐平野、四国山地そして 高知平野など次々と変わる車窓風景が楽しめます。 |
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夏の風物詩「内子笹まつり」は、愛媛の祭り50選にも輝き毎年約2万人におよぶ賑わいのあるお祭りだそうです。また、日本全国的にも活動されている七慾まつりは、奈良時代あたりに中国より五節句(ごせっく)の一つとして日本に伝われた様で、以来王朝文化の中に溶け込みつつ恋歌などを保ち、江戸期に入ると七慾祭(旧暦7月7日)として庶民の間で崇敬された伝統的な文化行事になったと言われているようです。 |
![子供の守り神となり得る津嶋神社[年間二回のみ] 子供の守り神となり得る津嶋神社[年間二回のみ]](459images/1-73.jpg) |
穏やかな波「瀬戸内」の海に浮かぶ小さな島に奉られている津島神社は子供の健康と成長の守り神として毎年8月4日と5日の両日、夏季大祭に海岸から島までの橋が掛けられ早朝より夜まで子連れでの参拝者で賑わっているそうです。また、その時期のみJR予讃線の幻の駅として有名な「津島ノ宮駅」の営業もなされるそうです。そう言えばパラダイスの担当者、僅かではありますが思い出の断片も残ってはいるようです。また、その時、おみくじを引いた記憶もあり(鳥の)メジロだったでしょうか??おみくじを嘴で引いてくれた様な想い出も残っています。 |
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エメラルドグリ−ンの海に囲まれ、まさに楽園そのもの的なコメントが掲載されている柏島(かしわじま)。一般的には透明度の高い海といえば沖縄県を連想される方も多いのかもしれませんが、高知県の南西に位置した柏島もダイバ−通の間では有名なスポットだと言われているようです。 |
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千二百六十四年前(天平十二年九月)藤原広嗣氏は君側を清めんと兵を挙げ、その途中、時化に遭い、その時に艫綱(ともずな)を投げかけられたのが「綱掛岩」だと伝承されている様です。 |
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毎年3月に「ミモザまつり」が開催され、また、春の犬寄峠には約2ヘクタ−ルの丘に一面の黄色に染まった菜の花が咲き誇ります。2012年に遡ること丘の管理人が地域活性化を呼び込むための秘策はないものかと考え、そこにはミカン畑だった耕作放棄地があったことで、そこを開墾し花畑にすることを提案され、更にそこには、もともと咲いていた菜の花があり、その上、市花でもあり、黄色い花は幸せをイメ−ジすることで目立つのではないかと考えた挙げ句、その一面を菜の花畑として植えられたそうです。約2年ほどかけて整備をし、3年目(2015年)の春には菜の花畑全面に咲き誇る程にもなったそうです。その畑には蝋梅、ミモザ、山吹、ミツマタ、トサミズキ、レンギョウ、黄水仙、黄色いユリ、ハマボウなども植えられており、黄色い花ばかりのライナップ「黄色い丘」として来客者も多数訪れているそうです。そして秋には、黄色い丘はコスモスの開花シ−ズンとしての黄色い花畑に染められているようです。(※入場は無料の様ですが、街灯などはないのでご注意ください。) |
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城山の山頂には静かな林間には白亜の天守閣がそびえており、街中どこからでも眺められる威容性も誇られているようです。そして建物内には展望室や展示室も完備されており、また、その近くにはテニスコ−トや遊歩道などもあり、ご家族を連れて憩いの場所としても楽しめるようです。春には桜の名所でもあり、花見客らも大勢賑わっているようです。画像にもある日和佐城は、元亀・天正(1500年代の初め頃)当時、城主日和佐肥前守が阿波の南部を目指す土佐の長宗我部氏の勢から城下を防御するために築いたと伝えられているそうです。現在の天守閣は昭和53年(1978年)に日和佐勤労者野外活動施設として白亜の天守閣が建てられました。 |
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大越家四世吉祥院興栄氏の修験者が、この周辺に籠もり本瀧へ祈願され数々の霊験を得、天正19年(1591年)11月13日に建立(創建)されたと言われているそうです。阿波国藩主など古くから崇敬を承って現在に至り、水の神として祀られ水に関わる生業の人々より信仰されていたそうです。家内安全・無病息災・交通安全・学業・農林・漁業・商工業など霊験の神として崇敬されているようです。 |
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櫃石島と岩黒島を結ぶ斜張橋(手前が岩黒島橋、奥が櫃石島橋)は、白鳥が羽を広げたような優美な姿で瀬戸内海に羽を休めています。 |
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象頭山の東腹に鎮座する海の神様。古くから“さぬきのこんぴらさん”と親しまれ、老若男女の厚い信仰を集めています。金刀比羅宮では、1年を通じてさまざまな伝統行事が古式ゆたかに開催されます。「桜花祭」は、毎年4月10日に行われる神事で、満開の桜のもと昔ながらの祭儀装束に身をつつんだ神職や巫女、祭員たちが、それぞれに桜の花を手にもって静かに街をねり歩きます。 |