![高松城跡(玉藻公園)[HP:404 Not Found] 高松城跡(玉藻公園)[HP:404 Not Found]](459images/taka01.jpg) |
| 香川県高松市:高松城跡(玉藻公園)[HP:404 Not Found]
| [226] 〔 登録日:2000/10/11 〕 |
海水を堀に引き入れた水城で、16世紀末期に建設された。国の史跡。月見櫓、水手御門、渡櫓などは国の重要文化財。 |
 |
鯛めしにも様々な調理方法もあるようで、今回の鯛めしは宇和島漁港から宇和海の日振島を根城にしていた伊予水軍が考案された鯛めしだと考えています。(違っていましたら申し訳ございません。)極めて一般的な鯛めしとしては、ご飯と一緒に炊き込むものが多いように思えるのですが、今回の鯛めしは、船上にて刺身と茶碗酒に盛った酒を飲み交わした後、しっかりと醤油に含ませた刺身に混ぜ合わせた茶碗で食されたようです。ここで余談ですが、鯛の代わりに赤身の魚とかアジを使用したものは「ひゅうがめし」と呼ばれているそうです。 |
 |
今治の北竹と大島の間に位置し、潮流の速さは鳴門海峡以上と言われています。近くには、桜の名所・波止浜公園や伊予水軍の城砦跡もあります。また、瀬戸内海大橋の架橋地点近くに来島海峡展望館が完成し、来島海峡を一望できます。 |
 |
ふかいV字に切りたった断崖絶壁が約5kmにもわたって連続する千変万化の峡谷。結晶片岩や含礫片岩などが露出し奇岩怪岩やシン淵が多く見られるなど、男性的な表情にあふれ、吉野川が長年の歳月をかけてつくりあげた大自然の芸術品。岩肌と樹木と渓流のコントラスト、春はミヤマ桜や岩ツツジ、夏は新緑、秋は紅葉が美しく、観光船による川下りのドラマチック体験も楽しみのひとつです。 |
 |
明治2年(1869年)に廃城となり、現在では城跡として国指定の史跡・名勝(表御殿庭園)となっており、主な城主は蜂須賀氏(日本の氏族)で羽柴秀吉氏に仕えた正勝氏の一族だと言われているようです。 |
![松山城[2] 松山城[2]](459images/2-47.jpg) |
緑の樹木に囲まれて静かにたたずむ白亜の天守閣は松山のシンボル。その雄姿はかつて瀬戸内海を航行する船からも遠望できたといわれています。3重3層・地下1階・屋根瓦葺き。小天守閣と回廊によって結ばれた独特の構造をなし、ここからは市街地や瀬戸内海の絶景を一望。あたり一帯は城山公園として整備されており、観光客はもちろん市民の憩い のスポットとして親しまれています。 |
 |
三層六階の天守閣を持つ高知城は、高知市中央にある大高坂山に建ち、全国でも数少ない古城の一つに数えられます。城内には板垣退助や初代藩主山内一豊の妻と馬の像が、また一角には歴史資料展示の懐徳館があり、天守閣からは高知の町並みや五台山などが望めます。 |
![松山城[1] 松山城[1]](459images/2-46.jpg) |
市街地の中心、標高 132mの勝山山頂にある名城。戦国武将の加藤嘉明が慶長7(1602)年に築城し、山頂に本丸、中腹に二ノ丸、山|に三ノ丸を配した壮大な巨城となっており、姫路城・和歌山城とともに日本三大連立式平山城のひとつに数えられています。城内に は、天守閣をはじめ、一ノ門、乾櫓など、江戸時代に建築された建物が数多く遺存し、国 の重要文化財に指定されています。 |
 |
道後公園のほど近くにあり、古くは湯月八幡と称し延喜式にも列した古社。本殿は寛文7(1667)年、4代松山城主松平定長が造営したもので、楼門・回廊・申殿・本殿からなる典型的な八幡造り。国指定の重要文化財。造営にあたっては山城男山八幡宮の規模を模したといわれており、現在、京都の石清水八幡宮・大分の宇佐八幡宮とともに全国で3つしかない貴重な八幡造り建造物です。 |
 |
1602(慶長7)年、築城。二ノ丸・三ノ丸を従えた連立式平山城。城内は、松山の歴史を伝える資料館です。屋根の反りがないのが特徴。頂上までは、ロ−プウェイでも“登城”できます。 |