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祖谷川の最上流に架かるシラクチカズラで編まれた吊橋。男橋と女橋のふたつからなっており、男橋は長さ42m・幅2m、女橋は長さ20m・幅2m。並行して架けられていることから別名“夫婦橋”とも呼ばれています。祖谷地方にはかつて13のかずら橋があったといわれていますが、今なお一般生活橋として地元の人々に愛され活躍しているのはここと西祖谷だけというたいへん貴重な存在です。 |
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四国八十八箇所霊場第二十三番札所で主に厄除けの寺として名を馳せているようです。(醫王山無量寿院)薬王寺は神亀3年(西暦726年)聖武天皇の勅願を受け行基菩薩が巡鍚をし建立されたと言われています。また、寺名にある薬王とは、薬の王であることを意味しているそうです。 |
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第1次世界大戦中、大正6(1917)年から約3年間、日本捕虜となったドイツ兵との交流を記念し収容所跡地に建設されたメモリアルミュ−ジアム。ドイツ風のモダンな洋館で、館内では当時のドイツ人の自由な暮らしぶりをミニチュア模型や写真などで詳しく紹介しています。近くには、ドイツ村公園や捕虜となったドイツ人が造ったドイツ橋などもあり、その歴史を今につたえています。 |
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一級河川の吉野川中流域に位置する大歩危渓谷は、その対岸の西祖谷山村と高知県の大豊町大久保地域の一部の総称として大歩危と呼ばれているようです。観光名称としても有名ではあるようですが、ドライブがてらの走行のみで通り過ぎてしまうのでは、その勿体なさに悲観さえ覚えてもいるとの言葉が、一応に耳することもあった模様です。 |
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江戸時代中期から明治末期ごろまで全国に質のよい藍玉を供給してきた藍のふるさと。その長い歴史や製造方法など藍に関するすべてを紹介する資料館。藍の豪商だった旧奥村家をそのまま利用した館内には、10万点におよぶ奥村家古文書や藍作業の道具などを展示しており、かつての暮らしがしのばれます。また、併設の藍染め体験作業場ではハンカチなどの藍染めにチャレンジできます。 |
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四国霊場1番札所。天平年間(729〜749年)に、聖武天皇の勅願により僧行基が開基したと言われ、いまも“一番さん”の愛称で親しまれています。入母屋造の仁王門をくぐれば、静かなたたずまいの古刹が開け、四国八十八カ所巡りへの思いを新たにします。 |
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豪商・奥村家の旧屋敷が保存され、阿波の伝統産業「藍染」の歴史や道具、作品を展示した資料館となっています。さまざまな作業を経なければ、あの繊細で美しい藍染が生まれないことがわかるでしょう。藍染の体験コ−ナ−で、存分に藍染を体験してみてください。 |
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城山山頂にそびえ建つ天守閣。日和佐駅の前方に標高65メ−トルの丘に日和佐城跡があり、元亀(天正1500年代初め辺り)の当時、阿波の南部侵入を目指していた長宗我部勢への攻防を防ぐために建築された城だと言われています。山頂には静かな林間に白亜の天守閣は街の至るところから眺められるそうです。日和佐肥前守が造った城は蜂須賀家政氏が阿波に入国した際に廃城になったとされますが、昭和53年に日和佐勤労者野外活動施設として白亜の天守閣が建造されたそうです。 |
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徳島市内の中心部を流れる新町川周辺に作られた親水公園。“水と光のドラマ”をテ−マに、新町橋から両国橋までの新町川左岸が整備されています。親水広場をはじめ、人工の湧水や流水、屋根付きベンチ、魚のオブジェなどが設けられており、訪れる人のだれもが川を楽しめるよう工夫を凝らした水の都・徳島ならではのリラックスゾ−ン。夜にはライトアップされ幻想的な雰囲気が漂います。 |
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大正7年6月1日、この地でドイツ兵俘虜によって、日本で初めてベ−ト−ベンの交響曲「第九」が演奏されました。ドイツ人と地元徳島の人々の間にはあたたかな交流があり、当時をしのばせる写真や日用品、俘虜の遺品などがハイテク映像なども交えて紹介されています。近くには友愛の碑、ばんどうの鐘、ドイツ橋などもあります。 |