![子供の守り神となり得る津嶋神社[年間二回のみ] 子供の守り神となり得る津嶋神社[年間二回のみ]](459images/1-73.jpg) |
穏やかな波「瀬戸内」の海に浮かぶ小さな島に奉られている津島神社は子供の健康と成長の守り神として毎年8月4日と5日の両日、夏季大祭に海岸から島までの橋が掛けられ早朝より夜まで子連れでの参拝者で賑わっているそうです。また、その時期のみJR予讃線の幻の駅として有名な「津島ノ宮駅」の営業もなされるそうです。そう言えばパラダイスの担当者、僅かではありますが思い出の断片も残ってはいるようです。また、その時、おみくじを引いた記憶もあり(鳥の)メジロだったでしょうか??おみくじを嘴で引いてくれた様な想い出も残っています。 |
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大越家四世吉祥院興栄氏の修験者が、この周辺に籠もり本瀧へ祈願され数々の霊験を得、天正19年(1591年)11月13日に建立(創建)されたと言われているそうです。阿波国藩主など古くから崇敬を承って現在に至り、水の神として祀られ水に関わる生業の人々より信仰されていたそうです。家内安全・無病息災・交通安全・学業・農林・漁業・商工業など霊験の神として崇敬されているようです。 |
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白峰・青峰・黄峰・黒峰・紅峰の標高400〜500mの五峰にちなんで五色台と呼ばれています。四季折々の美しい自然を横目に、高松・坂出両市の市境をぬってスカイラインが縦走。山頂やスカイラインからは、大槌・小槌の島影も見えます。黒峰サイロクには瀬戸大橋の眺めが素晴らしい五色台国民休暇村、北竹の大崎鼻には瀬戸内海歴史民俗資料館があります。 |
![四万十川[2] 四万十川[2]](459images/3-48.jpg) |
総延長196キロメ−トル。流域面積2270平方メ−トル。東津野村の不入山に源を発し太平洋へと注ぎこむ高知第1・四国第2の大河。日本最後の清流と呼ばれるように、上流から下流まで、流域にはありのままの自然が残り、動植物や川魚などの宝庫となっています。川とともに生きる人も 数多く、昔ながらの伝統漁法が現在も盛んに行われており、その光景は四万十川ならではの風物詩として親しまれています。 |
![松山城[2] 松山城[2]](459images/2-47.jpg) |
緑の樹木に囲まれて静かにたたずむ白亜の天守閣は松山のシンボル。その雄姿はかつて瀬戸内海を航行する船からも遠望できたといわれています。3重3層・地下1階・屋根瓦葺き。小天守閣と回廊によって結ばれた独特の構造をなし、ここからは市街地や瀬戸内海の絶景を一望。あたり一帯は城山公園として整備されており、観光客はもちろん市民の憩い のスポットとして親しまれています。 |
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櫃石島と岩黒島を結ぶ斜張橋(手前が岩黒島橋、奥が櫃石島橋)は、白鳥が羽を広げたような優美な姿で瀬戸内海に羽を休めています。 |
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象頭山の東腹に鎮座する海の神様。古くから“さぬきのこんぴらさん”と親しまれ、老若男女の厚い信仰を集めています。金刀比羅宮では、1年を通じてさまざまな伝統行事が古式ゆたかに開催されます。「桜花祭」は、毎年4月10日に行われる神事で、満開の桜のもと昔ながらの祭儀装束に身をつつんだ神職や巫女、祭員たちが、それぞれに桜の花を手にもって静かに街をねり歩きます。 |
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城山の山頂には静かな林間には白亜の天守閣がそびえており、街中どこからでも眺められる威容性も誇られているようです。そして建物内には展望室や展示室も完備されており、また、その近くにはテニスコ−トや遊歩道などもあり、ご家族を連れて憩いの場所としても楽しめるようです。春には桜の名所でもあり、花見客らも大勢賑わっているようです。画像にもある日和佐城は、元亀・天正(1500年代の初め頃)当時、城主日和佐肥前守が阿波の南部を目指す土佐の長宗我部氏の勢から城下を防御するために築いたと伝えられているそうです。現在の天守閣は昭和53年(1978年)に日和佐勤労者野外活動施設として白亜の天守閣が建てられました。 |
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霊峰・剣山の澄みきった岩清水を集め、町の中央部を北流して吉野川にそそぐ支流。流域に形成された剣峡の渓谷美は絶景で紅葉の名所としてひろく知られています。6月からは鮎釣り解禁、8月第1日曜日には下流約5qを手づくりの筏でくだる穴吹川筏下り大会を開催するなど、リバ−スポ−ツが盛ん。ちなみに穴吹川は、四国bPのきれいな川と建設省の折り紙付きです。 |
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基本的に、毎年暑い真夏の8月9日の前夜祭から実施されており、8月10日〜11日での本祭、その翌日の12日では全国大会及び、後夜祭の4日間が開催される予定だそうです。その期間中、約4000発もの花火も打ち上げられる予定でもあり四国内のお祭としては三大祭り一つとしてのビッグなイベントでもあるそうです。 |